銚子市は関東平野の最東端、千葉県北東部に位置し、北は利根川、東から南は太平洋と三方を水域に囲まれています。太平洋に突き出た半島状を呈し、地形は半島部分の丘陵、千葉県北西部から続く下総台地、利根川沿いに広がる沖積低地から成り立ち、半島部分がくびれた形になっているのは、中生代ジュラ紀から白亜紀の地層により形成され、比較的硬い岩石が海岸部分に露出し、侵食を抑える役割となったためです。
また、半島南西部に広がる屏風ケ浦に接して、約10㎞の海食崖が続いています。この海食崖は、後期更新世の約12-13万年前頃に古東京湾の浅海底で堆積した土砂が隆起してできた台地で、波浪により削られてできました。この海食崖を構成する地層は、大きく2層に分かれ、約300万年-45万年前に深海で堆積した地層(犬吠層群)と約12万年-6万年前頃に浅海底に堆積した地層(香取層)で、岩質の違う地層は、灰色とうす茶色という地層の色彩的なコントラストを生み出しています。 この大地が形成されていく過程の中で、海岸線の硬い岩石が激しい波浪により様々な形の奇岩となり、水平線が一直線に広がり、海食崖が続く屏風ケ浦などの自然景観を作り出し、それらが銚子の自然美の魅力を高めています。
屏風ヶ浦
銚子は、平安時代末から鎌倉時代頃、「三崎庄」「海上庄」と呼ばれ、九条家領荘園でした。九条家の家司であった藤原定家が、この東の果ての銚子を所領していた時期があり、三崎庄の情報が畿内にも広がっていたと考えられます。この頃、現在の利根川はなく、下総と常陸の国境に香取の海という内海が広がり、沿岸には香取神宮や鹿島神宮があり、大和朝廷が蝦夷平定に向かう際の要所であったことから、多くの人々が往来する場所となり、この辺り一帯が素晴らしい景観と感じる人々も多かったのであろうと推測できます。例えば、鴨長明の家集『鴨長明集』(1181年(養老元)成立と推定)の「秋」の部に「海上月」と題した歌、 玉と見るみさきか沖の浪間より立出る月の影のさやけさ は、畿内に広がっていた情報を耳にし、三崎の月を着想して詠んだとされ、ここ「香取の海」は、歌の名所として広く知られた場所でした。
江戸時代に入り、庶民の間に伊勢参りをはじめとする信仰の旅や各地の名所・旧跡を訪ねる旅が盛んになりました。銚子は利根川の東遷により東北と江戸を結ぶ中継地として大いに賑わい、江戸、神奈川、水戸に次ぐ、大都市に発展しました。この経済発展を導いた利根水運は、香取神宮、鹿島神宮、息栖(いきす)神社の東国三社参詣後、銚子磯めぐりを楽しむ旅人を運び、銚子に江戸からの文化も運びました。この「銚子磯めぐり」とは、木下(きおろし)茶船(ちゃぶね)で利根川を下降し、松岸河岸で下船、妙見宮や飯沼観音、そして銚子の海岸線一帯に広がる奇岩奇礁が生み出した景観を巡り、名洗浜が終着地となる「東国三社詣」のオプショナルツアーといえる旅行プログラムでした。
藤の花
妙見宮
「磯めぐり」の評判を高め、広めたのは、小林一茶などの多くの文人墨客で、銚子の豪商宅に逗留して、銚子を満喫し、その後江戸へ戻り、銚子で詠んだ句や土産話が江戸で広まっていきました。また、1854年から1856年(安政1~3)に発行された日本全国の名所を浮世絵69枚にまとめた歌川広重作「六十余州名所図会」の中に、「下総銚子の濱 外浦」として名洗浦、今の屏風ケ浦が描かれています。この場所は、富士見の名所として知られていたことが採用された理由と推測できます。さらに、幕末維新期の漢詩人である大槻(おおつき)盤渓(ばんけい)が、1847年(弘化4)5月に来銚した際、「銚港雑咏」を詠み、屏風ケ浦を「十里の赤い断崖が続く雄大な」景観と視覚的なイメージを端的に表現していて、そのイメージは今もなお受け継がれています。 このように多くの文人墨客をはじめとする来訪者が、銚子の魅力をさまざまな方法で伝えることにより、江戸からの旅の目的地として人気を博し、銚子磯めぐりは、明治期以降も文人などに受け入れられ、文学作品や旅行案内で紹介されました。
1874年(明治7)、犬吠埼に国内24番目の西洋式灯台が完成し、点灯しました。この灯台は、英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計で、千葉県香取郡下総町(現成田市高岡)の粘土で作った国産レンガ約19万3,000枚を使用して建設されました。この灯台見たさの見物人が大勢押し寄せ、さらに健康増進のために海水浴が効果的であるという考え方が西洋から導入され、犬吠埼周辺が銚子の一大観光地として発展しました。 観光客を犬吠埼へ運ぶ銚子・犬吠埼間を結ぶ観光路線を整備するために、濱口吉兵衛や13代田中玄蕃、小野田周斎などが発起人となり、1913年(大正2)1月に銚子遊覧鐵道株式会社を設立し、同年12月に銚子—犬吠間が開業し、仲ノ町、観音、本銚子、海鹿島に駅を設置しました。これが今の銚子電気鉄道株式会社(銚子電鉄)の前身ですが、経営不振が続き、さらに1914年(大正3)に第一次世界大戦がはじまり、1917年(大正6)に廃止されました。再び、銚子—犬吠間、そして外川まで鉄道が開設されるのは、1923年(大正12)でした。市民の足として利用されてきた鉄道は、自動車の普及によりしだいに利用者が減っていますが、車窓から眺める風景、銚子遊覧鐵道株式会社時代から残る歴史的な価値を有する駅舎など銚子の風景の中になくてはならないものとなっています。
犬吠埼灯台
銚子で一番高い山、標高73.6mの愛宕山は、北は鹿島灘、東から南にかけて太平洋の海原を、西は屏風ケ浦から九十九里浜まで見渡せる場所で、明治の文豪田山花袋自らの滞在経験に基づく銚子を題材にした数多くの作品の中にここから見た景観が描かれています。また、1917年(大正6)発行の「千葉縣海上郡誌」でも、愛宕山からの景観が「名洗浦」とともに「名勝」のひとつとして掲載されています。 1988年(昭和63)、銚子市は愛宕山の頂上に「地球の丸く見える丘展望館」を設置し、屋上展望スペースから北は鹿島灘、西は九十九里浜北部を眺望できるように整備し、天候などの条件が整えば、富士山や筑波山の背後に日光男体山なども見えます。この場所には、1937年(昭和12)に地球展望台、1968年(昭和43)に犬吠スカイタワーなどが建設されていて、その歴史から地域住民は愛宕山から望む景観が他の地域にはない優れた景観であると認識していたのでしょう。 そして、1992年(平成4)に愛宕山周辺の良好な景観を形成するため、市民のかけがえのない財産である自然景観を守り、つくり、育てることを目的に、「地球の丸く見える丘景観条例」を制定しました。銚子市民が景観条例を制定し、守ってきた愛宕山から望む「屏風ケ浦」の景観は、2016年(平成28)3月11日に国の名勝及び天然記念物として文化財指定されました。この屏風ケ浦は、犬若から旭市刑部岬にかけて緩やかに湾曲した海食崖に囲まれた海域で、まっすぐに延びる水平線、雄大な海と空、激しい波浪と戦い続けるむき出しの大地、そして海岸沿いの奇岩奇礁が屏風ケ浦の景観を構成しています。この景観が、江戸時代以降の磯めぐりの旅の隆盛とともに浮世絵、文学作品、旅行記等に登場したことで、名声を広く知らしめ、今では日本の自然景観を代表する場所となり、その屏風ケ浦の景観を楽しむ最高の場所のひとつが愛宕山です。
浄国寺
銚子の海岸線に広がる景観に多くの魅力的な価値を有していたことから、1935年(昭和10)に「国立公園法」を準用し、銚子半島一帯が「千葉県立銚子公園」になりました。その後、1959年(昭和34)に水郷国定公園となり、1969年(昭和44)に筑波山系が加わり水郷筑波国定公園に変更され、自然景観が保護されてきました。しかし、1951年(昭和26)から開始した名洗港湾整備により、犬若海岸が海水浴場から近代的な港湾へと整備されたことで、優れた自然景観の一部を失うことになりました。 また、屏風ケ浦に接する崖の侵食は、0.5m/年-0.9m/年であったと推定され、約5,000年前-4,000年前はおそらく現在より2㎞ほど東に延びていたと考えられており、古くは当地域の在地領主であった片岡次郎常春の佐貫(さぬき)城が海食により海没したことや三崎町内会に残る1900年(明治33)『海岸原野欠ケ崩シ予防保安林松木植付許可願』には、「海水激波のため一日毎に数十丈の欠け崖となる危険の地」と記載され、地域住民は激しい波浪の被害者でもありました。 港湾工事や防波堤の設置という一連の開発行為は、人間の力ではどうすることもできない自然の力を抑え、人と自然が親しめる環境へと変えていく役割を担うことにより、私たちにこれまでとは違う自然感をもたらし、新しい景観の価値や楽しみ方を生み出しました。
海鹿島海岸
君ケ浜からの日の出
銚子を代表する景観は、江戸時代以降人気を博した「銚子磯めぐり」の見どころにもなっている君ケ浜、犬吠埼、屏風ケ浦などの海岸まわりの自然景観です。これらの成り立ちを知り、今見える景観が出来上がった理由を知ることで、身近な自然や環境を大切にし、災害から身を守るすべを学ぼうとする「銚子ジオパーク」活動が始まりました。さらに、年間を通じて、銚子沖の洋上で野生のイルカやクジラを観る「イルカウォッチング」や屏風ケ浦の洋上から景観を楽しむ「屏風ケ浦クルーズ」などのプログラムもあります。 自然景観以外で特徴的な景観には、市街地で見られる産業景観があります。市街地のほぼ中心部にある醤油醸造の工場群が醸し出す景観や活気ある漁港の景観はどれも「銚子ならでは」の景観で、江戸から続く産業のストーリーが日本遺産「北総四都市江戸紀行」の一端を担っています。このような景観を楽しむために、銚子ボランティアガイド観光船頭会や銚子ジオパーク市民の会等のガイド組織もあり、多彩な切り口で景観を楽しむことができます。
犬吠埼の磯
国指定名勝及び天然記念物屏風ケ浦
地球の丸く見える丘展望館から屏風ケ浦を望む
展望館下のふれあい広場はアジサイの名所